君がいたから〜二人の闘病記5「有頂天に生きる日々、そして、虚しくも転移・・・」

其の五「有頂天に生きる日々、そして、虚しくも転移・・・」


あの頃、どんな気持ちで生きていたのか。正直思い出せない・・・

長女は大学に入ってから演劇をはじめて活動範囲が幅広くなり、たしか、この2008年の夏にイギリスのエジンバラで開催されるフェスに1ヶ月出演していた。

次女も大学生になり、この夏に夫と三人で台湾旅行に行った。

術後、体力が回復するとすぐにバレエのレッスンに通いだした。スポーツジムは辞めて、ヨガは某体育館のゆるいヨガに通い始めた。

今思えば、そこでのヨガが今の私の人生に繋がってるんだと思う。


仕事は手伝わなくていいと夫に言い渡され、それが悲しくて、それが夫の思いやりだと分かっていても、自分が情けなくて随分と八つ当たりしてしまったな・・それは今も悔やまれるんだ。。

 

退院後1週間で抜糸。その後1ヶ月ごとに血液検査。3ヶ月ごとにエコーとCT検査を交互に受けた。

毎回血液検査はパーフェクト。

がんになると血液検査の項目に腫瘍マーカーというのが追加されるんだけど、後から分かったことだが、私の場合、がん細胞があっても腫瘍マーカーは数値が上がらないタイプらしい。

なので、術後毎回、どの数値も上がらず、痩せた為に他の数値も(元々標準だったけど)まったく正常値で、油断してしまったのだと思う。。

元々体力だけはあるので、薬も何も処方されてなかったこともあり、完全に有頂天になっていたのだと思う。

私はがんに打ち勝ったのだ、と。。。

Mさんが亡くなってから461Bluse projectは活動を封印していたけど、尊敬するホトケさんからの「バンドは辞めたらあかんよ」との言葉、その言葉が背中を押してくれて、活動再開した。

復活最初のライブはケララさん開店15周年ライブパーティだった。その年は年末UCBさんに誘われて吉祥寺でもライブに出演させてもらい、

翌年、第一興商主催のおやじバンドフェスティバルに応募していきなり優勝もした!!

Mさんの命日4/19日にはホトケさんをゲストに迎えて、ジロキチでの追悼ライブも実現できた。この時からバンド名は461Bluse Project-0419、バンドの合い言葉は「漂えど沈まず」

有頂天になっていた ・・・

続いていた検査に引っかかったのが、2009年のGWを過ぎたころだったかな。

左肺に転移が見つかる。しかも大きくて2センチ近いものだった。また奈落の底に突き落とされた。


まず、本当にこの影はがんなのか、確認するためにPET検査を受けることを勧められた。

PETと呼ばれる検査はCTのもっと精密なものみたいで、がん細胞が光って写し出されるそうだ。とても高額だががん患者の場合は一般の人より格安で25000円。それでもとても高額でためらいもあったけど、仕方なく受けてみたらその左肺がばっちり光っていて転移確定だった。

すぐに呼吸器外科へ行くように言われて、消化器外科との連携で、治療や手術の計画が始まった。

抗がん剤。

2009年、この年の初夏から秋にかけて、この抗がん剤との付き合いに悩まされていくことになる。

そして、この時点でがんのステージが2から4になった・・・

それを申し訳なさそうに告げてくれたO先生にはここから本当にお世話になるのだった。。。

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