君がいたから〜二人の闘病記17「今を生きる」

其の17「今を生きる」


「2年後に生きている確率が10%ぐらい」

と言われてもあまりショックではなかった。前の担当の先生はがんのステージもあまり言いたくないといった感じだったので、あっさり言われてちょっとはびっくりしたけれど、自分でも調べてそんなに良い状態ではないことぐらいはわかっていたので、すんなり受け入れられたのだと思う。

もうとにかく、今はこの先のことを考えるより、今も、今日も生きていること、それだけで構わなかった。東日本大地震東日本大地震で被害に遭われた方々のことを思うと、悲しくてやるせなくて、しかし、生きていたらいつかは命の終わりを迎えるんだ、それはどんな形なのかはわからない、いつなのかも決められない、だから命は尊く美しいんだ。そう思うと、2年後に生きている可能性にビクビクして暮らすなんて勿体無く思えた。



手術の傷が癒えた頃から、以前から通っていた某体育館のヨガレッスンに週何回か通うようになった。そのうちの一人の先生の言葉が忘れられない。

それまで私の中でヨガというものはスポーツの一環でストレッチ運動ぐらいの認識しかなかったので、レッスンでもついつい頑張ってポーズを上手くキメようと気持ちが働いていた。しかしその先生はそんな私のそばに来て

「がんばらなくっていいんだよ、ヨガは気持ちよければいいんだよ」

と声をかけてくださったのだ。

がんばらなくていい、そうか、私はいつもがんばりすぎて体に無理を強いているんだ。それは時には大切だけど、今はがんばらなくてもいいんだ。入院中、早く回復したくて、必死で階段の上り下りをしたり、ストレッチを頑張ったりしていたけれど、今の私には鍛えることではなく、体を気持ちよくさせることが必要なのだと気付いた。



その後抗がん剤治療をやめた後、ヨガをもっと深く知りたくなり、今までかかっていた治療費をヨガのティーチャーズトレーニングを受ける費用に充てることにした。夫も快く賛成してくれた。

ヨガの勉強はとても楽しかった。そして知れば知るほど奥が深かった。

夫とはヨガ哲学の話をよくした。彼が興味を持っていた仏教、特に真言密教とも密接な関係があり、このころの二人の趣味だった神社仏閣巡りの楽しみも深まった。


その頃はヨガを伝える人になろうとは全く思っていなくて、ただ自分の人生を豊かにするために勉強していたのだが、一応は伝えられる人になるための訓練なので、レッスンをプログラミングしてリードできるようにならなくてはいけない。ロールプレイングの授業もある。夫はいつも生徒役になってくれて、話し方とか話の内容などかなり厳しくチェックしてくれた。当時習っていた先生の男ヨガというのが始まったばかりで、夫もそのレッスンに参加したことがあり、受講後はチェックもさらに厳しくなった。ヨガクラスで伝えることは主にアーサナ(ポーズの練習)プラーナヤマ(呼吸法)メディテーション(瞑想)だが、今まで受ける側でしか触れてこなかったものを実際自分がリードしていくというのは話すことが下手な私にはとても難しかったのだ。話し方のスピードや間の取り方などの細かいチェックも、今思い出してみるととても役に立っている。

「今、この時この瞬間を精一杯生きる、過去の後悔も未来への心配も必要ない」

ヨガを通して学んだこのこと、がんを患ったことの過去の自分への後悔も、2年後の生存率の心配も、ない。今、ここに生きている、横には夫も一緒に生きてくれている、家族に囲まれ、多くの友人に囲まれて今、この瞬間を生きている。

それだけで十分に幸せだった。

がんを患ってからの日々はそういうことに気づかせてくれる、とても大切で貴重な時期だったのだ。

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