君がいたから〜二人の闘病記16「音楽療法、笑い療法」

其の十六「笑い療法、音楽療法」

夫がいた頃はとにかくよく笑った。
とにかくよく笑わせてくれた。
もちろん喧嘩もいっぱいしたけれど、夫の面白い話に馬鹿笑いしていた想い出の方が色濃く残っている。笑うことはがん細胞を消滅させる効果があると言うけれど、本当だとすると完璧な笑い療法を実践していたことになる。

経口型抗がん剤が始まった当初は、食事制限や薬の時間などに神経質になり、大きく開腹手術した痛みや肋骨が折れた後遺症などから体力も落ちて塞ぎ込み家に引きこもりがちになっていた。トイレが我慢できないという事も大きく影響した。
しかし夫は、そんなことお構いなしに率先していろんな楽しい場面に私を連れ出してくれた。

まずは音楽活動。音楽療法といっても過言ではない。
私たち夫婦は音楽を通じて出逢った。
子育て時代に少し離れていたこともあるけれど、音楽、バンド活動は私たち夫婦のライフワークだった。
2011年から2014年まで二人一緒に参加したライブは38回、私が一人で参加したライブもあるので、それ以上、すごい数だ。引きこもっている暇などない。
バンド活動をしていると、ライブの為の練習で何度もスタジオに入り、その都度打上げ。ライブが終わればまた打上げ。塞ぎ込んでいる暇などない。気の合う仲間と集まれば笑顔が絶えることはない。

そして2012年にはお腹の心配もまだあるというのにトイレ事情も日本と違う海外へ2回も連れて行ってくれた。
ラオスのルアンババン、ニューヨーク。
この旅はひとつひとつの情景がまるで映画のワンシーンのように今でも心に深く残っている。いまだに観れないでいるけれど、夫が撮ったたくさんの動画や写真の中に私たちが生き生きと存在していることだろう。

好奇心を失わないということも闘病にはとても大切なのだと思う。旅をして知らない世界に触れること、なんてこの世界は広く希望に満ち溢れているんだろうと体全体で感じること。命を全身で感じること。多くの命の存在を感じること。
伊勢神宮にも御礼参りに行った。腹膜播種手術前に藁をもすがる思いで祈った神さまたちと木々たちに「また戻って来れました」と感謝を伝えに行った。

仲間との音楽活動にも、二人の旅行にも、家族の団欒にも、
常に真ん中に夫の笑顔と笑い声があった。
大雪が降り1メートルの積雪に家を囲まれた時も、
台風で車庫の屋根が吹き飛ばされた時も、結局全部笑い飛ばしてしまう夫がいつも横にいてくれた。

音楽と笑顔が溢れていた。

術後何回目かの検診が過ぎた頃、主治医のOY先生がJ医大を退職され私の自宅近くの地域病院に移られることになった。絶対的信頼を寄せていた先生だったので、私も一時そちらの病院に転院したのだが、先生より直接、「堤さんの場合、症状が心配なのでこの地域病院では不安があります。J医大に戻ってください」と説得された。
寂しかったけれど、先生に言われた通りJ医大の消化器外科OK先生に担当してもらうことになった。手術の時縫わない縫合を行なってくれた「ビキニも着れますよ」と言ってた先生だ。外科医らしくサバサバとしたOK先生の最初の診察の時「よく生きてましたね!凄いですよ!2年生存率10%くらいだからね〜」
と言われたのだった。

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