君がいたから〜二人の闘病記4「術後、そしてバンドメンバーの他界」

其の四「術後、そしてバンドメンバーの他界」


病院のベッドで歳をひとつ重ねた。

術後、最初に起き上がる時にはものすごい吐き気とめまいがあったものの、直後の痛みに比べたらなんてことはなかった。

硬膜外麻酔が効いてなかった痛みは、雲が晴れるようにひと呼吸ひと呼吸ごとにおさまっていった。

手術前から「術後はなるべく動いた方がいい」と言われていたので、また頑張り屋な性格が顔を出し、点滴してる間は廊下の往復。取れてからは階段の昇り降り。ベッドの上では柔軟体操と呼吸法、とひたすら体を動かした。

痛み止めも含めた点滴は確か3日ほどで取れた。と言うより、取ってほしいとお願いしたんだ。

血管が細い、ということもがんになって初めて知ったんだけど、血管が細いと大変で、採血もベテラン看護師さんか医師じゃないと無理だったり、点滴も漏れたりして、もう刺せる血管がなくなって手の甲とかにも刺されたりした。

点滴も取れ痛みはあるものの、やっと自由の身になれた開放感から病棟を散歩し始めた。J医大には屋上があり、そこから街が一望できる。

桜の季節。

お花見こそできないものの、春の空気は術後の経過を心地よく導いてくれた。

屋上散歩中、夫が「やっぱここか」と来てくれた事もあったなぁ~二人であの辺が事務所じゃない?と探したりしたなぁ。

事務所からこの屋上が見える!だけど屋上から事務所は探せなかったなぁ…

食事は流動食が続いたけど、確実に治っていく感じが空腹も忘れさせてくれた、というより胃が小さくなったんだろうなぁ…

リハビリを兼ねた術後の入院生活は一週間で終わり、退院前に色々と生活の注意を受けた。

暴飲暴食をひかえる。

大腸が20センチ短くなっているので排便コントロールに気をつける。

便秘をしない。

1週間後の抜糸まで患部はシャワーで除菌(先生曰く日本の水道水は除菌効果抜群だとか…)

それくらいだったかな。

退院する頃には、食事も普通食にほぼ近づいていたけど、まだまだ油断はできない。

とは言え、胃は元気なので早くいっぱい食べたいなぁ~と食べ物ばかりが頭に浮かんだ。

約2週間入院中の食事制限で体重が5キロ以上落ちて、体も軽くなっていた。

退院の日、車で迎えに来てくれた夫のプレゼントはまた赤い薔薇!嬉しかった!

その晩は夫がご飯を作ってくれて退院祝いの晩餐。何食べたっけ…覚えてないんだ…ごめん…

退院後は、家事をしたり、軽くヨガしたりして徐々に普通の生活を取り戻すのも早かった。

痛みもすっかり忘れ、ただ、短くなった腸とのお付き合いが始まった。これは詳しくまた次回に。

退院後、2週間ほど過ぎた、

2008年4月19日、

以前より闘病中だった461Blues Projectのメンバーの訃報が届いた…

461Blues Projectというバンドを前年2007年より活動を始めたのだけど、当初はバンドドラマーMさんの闘病を元気づけるものだった。

御苑スタジオでマウンテンカバーから始まったセッション。その流れでこのバンドが始まり、

Mさんの大好きなジロキチで大好きなプルースを、無謀にも単独ライブを決行したのが2007年の5/26日。

今でも、あのライブは忘れられない。

Mさんはうちの近くの病院に入院してた事もあり、何度かお見舞いに行ったっけ…タバコ吸いたいから付き合ってと病院外へお供した事も…

あの葬儀の事が忘れられない…

生き急ぐように、破天荒に生きたMさん。

その生き様はかっこよかった。彼のドラムでまたライブをやりたかった…

ドラム談義でしょっちゅう盛り上がり喧嘩もしてたという夫とMさん…

夫はとても落ち込むと同時に、私もやはり早く逝ってしまうんではないかととても心配してたんだ…

Mさんと夫は、今頃上でボンゾ談義したり、一緒にドラム叩いたり、一緒にブルースやってると思う。そばでYさんもニコニコ笑いながら聞いると思う。

みんな待っててね!また一緒にブルースがやりたいよ!

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